こどもの「外遊び」とは、アウトドアでの遊び全般のことを必ずしも意味するのではないと私は考えています。家の中にいたら迷惑なほど充分に熱中・興奮してしまった状態そのものを指すのではないかと思うのです。
こどもたちは何かを得るために遊んでいるわけではありません。全身全霊でおもしろがれる対象に出会い、周りが見えなくなるほど没入して遊ぶ中で、次々とその時点の自分を乗り越えて新しい自分と出会い続けていきます。心から熱中し没頭する過程において、結果としてたくさんのものが得られることはあるにしても、最初から何かを得るために遊んでいるわけではありません。
ベイブレードという現代的なコマで遊ぶことが、小学生男子を中心に大人気になっています。昔のベーゴマ遊びと同じで、2人でコマを同時に回転させて、相手のコマを場外へはじきとばすか、相手よりも長く回転を保ち続けた者が勝利を得ます。1つのコマは5つのパーツで構成され、パーツを組み替えることで、攻撃的にも守備的にも、スタミナ的(回転し続ける)にもその性格を変えていきます。
こどもたちは、相手がどういう性格のコマをくり出してくるかを予想し、自分のコマの性能を選んで闘わせます。読みが的中すれば快勝することもありますが、はずれればボロ負けということもあるわけです。相手の癖やパターンを予想して、それに対応する自分のコマを構成します。相手の予想の「裏」をついて驚かせる楽しみもあります。人間が相手だからこそ感じられる駆け引きの楽しさは、どんなに時代やテクノロジーが進歩しても、普遍的な喜びであり続けているようです。
大人は、こどもたちがこうした昔風のテイストを持つ遊びに熱中するのを歓迎します。それは懐古的気分だけではなく、かつてのこどもが感じていた普遍的な遊びの喜びが、時代を超えて共有できることに安心と共感を感じるからでしょう。いくらコンピュータが人間くささのような要素までを搭載しても、本物の人間の人間くさい楽しさにはかなわないわけですから。
面白い遊びと出会い、その遊びを共有できる友達を得て共に熱中することで、こどもたちは日頃は見せない能力を開花させていきます。ベイブレードのパーツの微妙な差異を見分け、一つ一つの名前と性格をそらんじ、組み合わせによる効果の大小や相手による相性までを経験的に記憶し、新たなバトルの展開をイメージしていきます。普段では考えられないような集中力、記憶力、構成力を発揮していきます。多くの親たちは「この情熱と能力を少しでも勉強にも向けてくれればいいのに…」と苦笑いを浮かべます。
遊びの面白さは、「生活や人生に直接役立つことから自由」であることによるものなのかもしれません。コマ回しもメンコもあやとりもゴム跳びも、単純にひたすら楽しく、しかも時代を超えた本質的な面白さを感じられるから、大人が伝えたいと思うのでしょう。伝えたいのは「純粋に熱中する忘我の記憶」であるのかもしれません。